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今週の記事1本

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教皇 新刊本で回顧
人生を変えた「隔離」
【バチカン11月23日CNS】

 

新型コロナウイルス感染症の流行拡大による「ロックダウン」(都市封鎖)や規制で人々の普段の生活が妨げられ、世界規模で苦しみが広がった中、教皇自身を含む各個人が人生で手痛いショックを受けたか、受けることになると教皇フランシスコは、新刊本の中で語っている。
  「病気や結婚または仕事上の失敗、大きな失望または裏切り」といった時が「不安を生み出します。私たちの心の内をさらけ出す危機的な状況です」と教皇は説明する。
  英国のカトリック作家オースティン・アイブリー氏との共著になる「夢を見ましょう―より良い未来への道筋」で、教皇フランシスコは自身の人生の中で今のパンデミック(世界的大流行)の時のような三つの「隔離の時」を体験したと話している。21歳の時に生死をさまよった肺疾患と、1986年のドイツへの留学のための「異動」、90年代初頭のほぼ2年間にわたるアルゼンチン北部コルドバへの「左遷」だという。
  「夢を見ましょう」は12月に刊行されるが、教皇が自らの「隔離」について語った部分の抜粋が11月23日付のイタリア各紙に掲載された。
  こうした大きな試練と痛みの時に、「私が学んだのは、多くの苦しみを受けても、それで自分を変えていこうとするなら、その結果として成長できるということです。けれども、守りに入ってしまえば、悪い結果につながってしまいます」。
  教皇は自身の肺疾患について、こう書いている。「日付まで覚えています。1957年8月13日です。(神学院の)責任者が私を病院に運び込みました。私の病気はアスピリンでどうにかなるような感染症ではないと分かったからです。いきなり私の肺から1.5リットルの水が抜き取られ、病院で生死をさまようことになりました」
  当時は教区神学院の2年生で、それが「初めて限界と苦痛、孤独を体験した時でした」と教皇は続ける。「それで人生に対する見方が変わったのです」
  「何カ月もの間、私は自分が誰で、生きるのか死ぬのかも分かりませんでした。医師たちも、私が持ちこたえるかどうかは分からなかったのです」と教皇は書いている。「母親を抱き締めて、こう言ったのを覚えています。『教えて。僕は死ぬのかな』」
  入院後3カ月がたって、「右肺上部を切除する手術を受けました」と教皇は語った。「新型コロナウイルス感染症患者の方が人工呼吸器で呼吸して苦しい思いをする感覚が私にはいくらか分かるのです」

 イエズス会に入ると決めた時

 当時の看護師の一人、「シスター・コルネリア・カラリオが」、抗生剤の用量を倍にして、「私の命を救ってくれました」と教皇は言う。「患者さんたちと常に接していたので、シスターは医師よりも患者が何を必要としているかを知っていて、自分の知見に従って行動する勇気があったのです」
  教皇フランシスコは当時、「うわべだけの気安め」の意味も分かったという。
  「お見舞いに来る人が、きっと良くなるから、これだけ苦しめば、もうこんな思いはしないだろう、などと言うのですが、全くばかげています。口先だけの言葉です」
  それとは逆に、教皇は初聖体の準備に寄り添ってくれた修道女から学んだことを明かした。ただ近くに来て手を握ってくれたことが示したのは、人と向かい合い、手を差し伸べて、言葉は最小限に抑えることの大切さだった。
  入院中で回復に努める間に、「自分の召命を考え直す」のに必要な時間と余裕ができたと教皇は言う。そうして教区司祭になるよりも修道会に入りたいという自身の切望を見極める。イエズス会に入ることを決心したのはその時だった。

 

 

 

2019年11月、作家オースティン・アイブリー氏と話す教皇フランシスコ(CNS)



 

 

 

 

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