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今週の記事1本

こちらでは、カトリック新聞に掲載されている記事を、毎号につき1本お読みいただけます。



広害
核兵器ない世界を
平和行事で
求め学び祈る



 8月6日、広島は73年目の「原爆の日」を迎えた。広島教区は、世界平和記念聖堂(幟町(のぼりちょう)教会)、隣接するエリザベト音楽大学セシリアホールで、「原爆の日」に先立つ5日から、「2018 平和行事プログラム」を行った。
  昨年、ノーベル平和賞を受賞した「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN(アイキャン))の国際運営委員を務める川崎哲(あきら)さんは、「核兵器をなくすためにできること」という題目で基調講演を行った。「全ての核兵器は間違っている」という前提で、「核兵器禁止条約への署名・批准に際しては、被爆者の役割がとても重要だ」と被爆者を励まし、力強く語った。
  分科会では、朴南珠(パクナムジュ)さん(85/広島・観音町教会)が被爆証言を行った。朴さんは広島市西区で生まれた在日韓国人2世。父親は韓国・慶尚南道の出身だが職を求めて来日し、朴さんは13歳の頃、弟妹二人と爆心地から1900メートル地点の路面電車の中で被爆した。
  戦後、被爆者であり在日韓国人であるという「二重の苦しみ」を味わったこともあり、平和実現のために証言活動を始める。よく修学旅行生に、「被爆した時に、韓国人だからと差別はなかったのですか」と尋ねられるが、「差別する余裕もない」くらいの惨状だったと朴さんは語る。
  証言の最後に朴さんは、再び戦争の世にしないための秘訣(ひけつ)を語った。それは「人に優しく」することだという。
  その後、平和記念公園(広島市)に会場を移し、日本聖公会との合同プログラムである祈りの集いと平和行進を行った。広島教区と姉妹教区である韓国・釜山(プサン)教区の中高生も平和学習で広島を訪れており、共に平和行進をした。
  平和行進の目的地である世界平和記念聖堂に着くと、隣のエリザベト音楽大学セシリアホールで平和祈願ミサをささげた。司式は、岡田武夫名誉大司教(東京教区)。冒頭では駐日教皇庁大使ジョセフ・チェノットゥ大司教が、西日本豪雨被災者を見舞い、集まった1000万円の募金に加えて、500万円をローマ教皇庁から寄付したことを報告した。
  説教で岡田名誉大司教は、20世紀は2度の世界大戦があり核戦争の脅威があった「戦争の世紀」であったことを確認。21世紀こそは、戦争のない世紀、核兵器のない世界を目指したいと語った。
  ミサの後、釜山教区の中高生が、サプライズで「千の風になって」(作曲・新井満)を韓国語で歌った。

 戦没者のため祈る

 8月6日午前8時からは、世界平和記念聖堂で「原爆と戦争のすべての犠牲者のためのミサ」がささげられた。司式は白浜満司教(広島教区)。白浜司教は冒頭のあいさつで、「広島原爆の追悼に来ていただいて、本当にありがとうございます」と感謝を伝えた。原爆が投下された8時15分には、黙とうをささげた。ミサには、仏教僧侶の姿もあった。
  説教で白浜司教は、私たちが今一度「広島の廃虚」に思いをはせる重要性を説いた。カトリック教会は8月6日に「主の変容」(マルコ9・2―10)の箇所を全世界で読むことを紹介し、さらに並行箇所であるルカ9・28―36にある、イエスが祈るために山に登られたエピソードを引用。「山は神との出会いの場」であり、「祈りの山を下りて私たちは、『祈ることと、愛すること』に努めてまいりましょう」と語った。閉祭の歌は、新垣壬敏(あらがきつぐとし)作曲の、沖縄の方言を交えた「平和の歌―ヌチドゥタカラ」。
  続いて、長年被爆米兵捕虜を調査し、その成果を、広島を訪問したオバマ前米国大統領に伝え、抱擁を交わしたことで知られる森重昭さん(81)の講演が行われた。
  森さんは講演で、「エノミヤ・ラサール神父と世界平和記念聖堂」について話した。戦時中、同盟国だったドイツの神父が多く日本で活躍しており、その一人、ラサール神父(後に帰化し愛宮真備(えのみやまきび))も広島で被爆した。ラサール神父がその後、恒久平和を願って広島の地に聖堂を建てようと募金集めに奔走したこと、今も遺骨は世界平和記念聖堂にあることを森さんは語った。
  世界平和記念聖堂は現在耐震補強工事中で、来年6月には完成する。

 



広島教区と姉妹提携を結ぶ韓国・釜山(プサン)教区の中高生たちも共に平和行進した

 

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