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今週の記事1本

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教皇の一般謁見講話
悲しみは神に近づく招き
【バチカン11月16日CNS】

 

困難と悲しみの時は、祈ることでイエスに近づき、正しい道を識別する機会になる、と教皇フランシスコは説いている。
  「私たちが悲しみと呼ぶ精神の状態は、成長への機会にもできるのです」と教皇は11月16日、バチカンのサンピエトロ広場で開いた一般謁見で語った。
  「本当のところ、いくらかの不満の種や健康上の悲しみ、孤独のうちにたたずみ、逃げることなく自分のうちにとどまる健全な能力がなければ、私たちはいつも物事の表面だけにとらわれ、決して自分たちの存在の核心に触れることができなくなる危険があるのです」と教皇は説明する。
  「悲しみは『魂を揺さぶる』体験をもたらします。私たちを目覚めた状態に保ち、注意深く、謙遜にさせてくれて、世間の気まぐれな風向きから守ってくれるのです」と教皇は続けた。
  教皇フランシスコは一般謁見で、霊的な「識別」についての講話を続けている。今回は悲しみと、その感情がどのようにして起こるのかについて話した。
  教皇は10月26日の講話では、悲しみは「魂の暗闇」、内面の不安や不満の表れだとしていた。
  そして今回、11月16日の講話では、暗く悲しい時は無頓着さをいさめ、神の恵みに気付かせて、イエスに近づくことによって霊的生活のうちに成長するきっかけをつくってくれると説いている。

 主と共にあり他者を知るため

 「多くの聖人たちにとって、こうした不安が人生を転換する上での後押しとなったのです」と教皇は説明を続ける。
  ところが、「完璧」で「人為的な平静」のうちに生きていると、自分の本当の感情を無視するか、気付こうともしないことになり、そうして「他者の苦しみに無関心になり、自分自身をも受け入れられなくなってしまいます」。
  「重要な選択には代償が伴います」が、それでも「その代償は誰にでも何とかできるものです」。その代償は、祈りと識別、そして決断に至るまでの努力で払うことができる。
  悲しみを体験することは、人生の中で出会う人々を当然の存在ととらえないようにという招きで、むしろ、その人たちとの関係を深めることを促し、それは神との関係にもいえると教皇は指摘する。
  「私たちの子どもの頃を思ってみましょう。例えば、小さい時にはしょっちゅう両親に迫って、何かをねだります。おもちゃとか。アイスクリームを買うお金とか。または許しを得るなど。そうして近寄っていくのは、両親自体ではなく、何かを得るためだけなのです。でも実は、私たちの両親こそが最高のたまものなのです。このことは成長するにつれて少しずつ分かっていくことです」
  しばしば、祈りもそのようになっている。イエスに興味を示すことなく、ただよくしてくれるようにと願うだけなのだ、と教皇フランシスコは人々に反省を促す。
  「主に向かって『ご機嫌いかがですか』なんて聞くのは変で、非現実的だと思われるかもしれません。でも、そうではなく、主との本当の誠実な関係に入り、主の人間性と苦しみ、主だけが味わう孤独にさえ触れるための最も美しい方法なのです」と教皇は強調する。
  「主と共にあることを学ぶのは私たちにとって良いことです。何の他意もなしに主と共にあること。それはまさに私たちが優しくしたいと願っている人たちに接するときに起こることです。私たちはその人たちをもっと知りたいと願います。その人たちと共にいるのは素晴らしいことだからです」

 




11月16日、一般謁見に到着し、あいさつをする教皇フランシスコ(CNS)








 

 

 

 

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