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今週の記事1本

こちらでは、カトリック新聞に掲載されている記事を、毎号につき1本お読みいただけます。



ペトロ岐部と187殉教者の列福から10年
福者らの信仰考えるシンポジウム開催 
東京・麹町教会


 2008年11月24日に長崎市(長崎県営野球場)で行われた「ペトロ岐部と187殉教者の列福式」から今年で10年を迎える。列福10年を記念して、シンポジウム(日本カトリック司教協議会列聖推進委員会主催)が6月30日、麹町教会(東京教区)で行われた。今後、記念ミサ、黙想会も行われる。シンポジウムでは、デ・ルカ・レンゾ神父(イエズス会日本管区長)、川村信三神父(上智大学教授)が講話を行い、東京教区の信徒ら100人が参加した。

 「岐部ヘイトロは、 転び申さず候」
  デ・ルカ・レンゾ神父

 レンゾ神父は、「列福から10年たった今―現代教会への問いかけ」と題して、さまざまな史料を紹介しながら講話を行った。「日本のカトリックには、教典など『書かれた祈り』の長い伝統がある」と日本キリスト教史の特徴を強調した上で、史料に基づいてペトロ岐部の人物像について紹介。取り調べを行った井上筑後守による調書に、「岐部ヘイトロは、転び申さず候。吊るし殺され候」とあり、迫害者からの証言は珍しいと指摘した。
  宣教師による史料にも、「私の名はペトロカスイ、ロマノ岐部、マリア波多の子、33歳。生まれは日本、豊後国浦辺」とあり、「信心に関しては毎日ロザリオを唱え、毎週土曜日には大斎を行った」とペトロ岐部の信仰について記されていると紹介した。

 「遠藤周作 『銃と十字架』の再評価を」
  川村信三神父

 川村神父は、「福者ペトロ・カスイ岐部が現代日本人に語り掛けること」と題して講話。
  現代日本の私たちが、「もう一度信仰について考えてみよう」と思うきっかけとなった出来事に、2016年に公開されたマーティン・スコセッシ監督による映画「沈黙―サイレンス」を挙げ、原作である遠藤周作『沈黙』の発表から50年たった今、日本で上映されることに意味があると指摘した。
  川村神父は、プロテスタントの信徒は『沈黙』を好むのに、カトリックの信徒がこの作品をあまり好まないことを長年不思議に思っており、その原因は、「神と私との間の信仰だけで大丈夫だ」という『沈黙』に描かれる信仰傾向にあると分析。「個人の信仰に加えて、目に見えるしるしである教会の秘跡が必要」というカトリックの信仰のあり方を再確認した。
  さらに、ペトロ岐部を取り扱った小説として、遠藤周作が『沈黙』と同年の1966年に書いた『銃と十字架』を読むことを信徒に勧めた。川村神父は、大学生時代に初めて読んだ時に三日間眠れなかった体験を紹介。
  『沈黙』に出てくる「しょっちゅう転ぶキリシタン」と対照的に、「決して転ばぬ殉教者」を力強く描いているという。遠藤はしばしば「弱さ」ばかりを強調していると解釈されるが、「弱さ」と「強さ」は両輪であり、この二作品が、同年に書かれていることに意味があると川村神父は語る。
  「銃と十字架」、これは16世紀に西欧が日本にもたらした「鉄砲とキリスト教」を意味するが、「キリスト教は決してヨーロッパのものではない」という遠藤の問題提起は、元来ペトロ岐部によるものだったと講話を結んだ。

 

 



講演した川村信三神父左とデ・ルカ・レンゾ神父

 

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