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今週の記事1本

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教皇、奇跡を認定
ヨハネ・パウロ1世列福へ
【バチカン10月13日CNS】

 

教皇フランシスコは、尊者ヨハネ・パウロ1世教皇の取り次ぎによる奇跡を認定する教令に署名し、同教皇の列福への道を開いた。
  イタリア出身のヨハネ・パウロ1世の教皇職在任はわずか33日間だった。同教皇は1978年9月28日、バチカン使徒宮殿の教皇居室棟で逝去した。65歳だった。その急死は世界と、聖パウロ6世教皇を失ったばかりだった教会に衝撃を与えた。
  バチカンは10月13日、教皇フランシスコが教皇庁列聖省の教令を承認したことを公表した。その複数の案件の冒頭に、ヨハネ・パウロ1世の取り次ぎによる奇跡が挙げられている。
  ヨハネ・パウロ1世の取り次ぎによると認定された奇跡は、アルゼンチンのブエノスアイレスに住む少女に起こった。少女は重篤な急性脳炎を発症し、治療不能な脳卒中を起こした末に敗血性ショックに陥っていた。
  医師たちが少女の家族に、死が「差し迫っている」と告げた後、地元の司祭は家族や看護師たちに、ヨハネ・パウロ1世教皇の取り次ぎを願って祈るよう勧めた、と列聖省のウェブサイトは明らかにしている。
  専門家らによる調査委員会は、2011年に少女の症状が完治した現象は科学的に説明できないとして、同教皇の取り次ぎにより起こった可能性があると認定した。
  バチカンは、同教皇の列福式の日取りについては発表していない。

 つつましくほほ笑む教皇

 ヨハネ・パウロ1世教皇の在任期間は、歴史上最も短い部類に入るが、同教皇は強い印象を残し、教会は「ほほ笑む教皇」として懐かしんでいる。
  同教皇のモットー「謙遜」は、キリスト教的美徳を強調するだけでなく、自身の気取らない姿勢とつつましい生い立ちも表していた。
  イタリア北部ベネト州山間部の小さな町カナーレ・ダーゴルドで1912年10月17日にアルビノ・ルチアーニとして生まれた将来の教皇は、弟2人と妹1人と共に貧しい家庭で育ち、おなかをすかせて就寝することもしばしばだった。
  健康に恵まれず貧しくても、父親はアルビノに小神学校に入ることを勧める。入学後も夏休みには帰省していたが、黒いカソックを着て畑仕事に励むことが多かったという。
  1935年に司祭に叙階され、58年に聖ヨハネ23世教皇によりビットリオ・ベネト教区司教に任命される。その10年以上後に聖パウロ6世教皇によりベネチア教区総大司教に任命され、73年に枢機卿に叙任された。
  ベネチア教区総大司教としてのルチアーニ枢機卿は、貧しい人や障がいのある人への奉仕で知られ、教区内の司祭たちに向けて、障がい者福祉センターのために金銀の製品を売ってしまうよう呼び掛けた。自ら模範を示すルチアーニ枢機卿は、胸の十字架と金鎖を競売にかけて、資金集めの先陣を切った。十字架などは聖ヨハネ23世教皇から譲り受けた物で、元はピオ12世が所有していた。
  聖パウロ6世教皇の死後、驚きのうちに後継者に選ばれた後も、ヨハネ・パウロ1世はつつましい生活をやめることはなく、伝統的なティアラ(教皇三重冠)の着用を拒み、教皇選出後のミサも、「戴冠式」とはせず、「就任式」と呼んだ。

 

 

 

2020年の死者の日に、聖ペトロ大聖堂地下のヨハネ・パウロ1世の墓で祈る教皇フランシスコ(CNS)










 

 

 

 

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