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今週の記事1本

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死刑は「福音に反する」
教皇
『カテキズム』25周年で強調
【バチカン10月11日CNS】

死刑は、どれほど実際に執行されていても、「それ自体が福音に反しています」と教皇フランシスコは強調した。
  教皇はバチカンで10月11日、『カトリック教会のカテキズム』発表25周年を記念して演説し、『カテキズム』での死刑についての記述は既に聖ヨハネ・パウロ2世教皇によって公式に改正されているが、さらにはっきりと極刑に反対する姿勢を示す必要があると指摘した。
  極刑は「人間の尊厳を著しく損なう」と教皇は続け、「非人道的な手段」だと付け加えた。
  「死刑はそれ自体が福音に反しています。というのも、その決定は人の生命を消し去るために任意に下されますが、人命は創造主の目には常に神聖で、最終的には神だけが真の審判者であり、保証者だからです」と教皇は説明した。
  死刑は人の生命を消し去るだけでなく、その人が自身の過ちを認め、ゆるしを求めて、新たな人生をやり直す可能性をも消し去る、と教皇は指摘する。
  教会の死刑に対する姿勢は教会の教えが不動ではないことを示す一例だとして、教会の教えも信仰における成長や現代の問題と案件に対応して成長し、深まるものだと教皇は語った。
  過去には、重大な犯罪に対して社会が自衛する手段を他に見いだせず、「社会が成熟」に至っていなかったため、死刑は「正義を適用するための論理的結果」として受け止められていた、と教皇は振り返った。
  実際に、教会自体もそのように考えていたため、教皇領でも死刑は選択可能な刑罰だった、と教皇フランシスコは指摘した。福者パウロ6世教皇が公式に死刑を廃止したのが1969年のことだったが、1870年から執行はされていなかった。
  「私たちは過去についての責任を認めるとともに」、死刑の執行は「キリスト教的というよりも法的な考え方によって決定されていたことを認めましょう」と教皇は呼び掛けた。「人間の尊厳を再確認する新たな必要が持ち上がっている今日、中立を保ったままでいることは、私たちをさらに罪深い者としてしまいます」
  教会の教えの発展は、教会の教説を否定または変えてしまうことではないと教皇フランシスコは強調する。「伝統は生き生きとした現実であり、それを部分的にしか見ないなら、“信仰の遺産”を不動のものとする考えに至ってしまうことになります」
  「神のことばは、古い毛布を昆虫から守るための虫よけの中にしまっておくわけにはいかないのです」と教皇は続けた。

 人間の尊厳への攻撃

 キリスト教の信仰は常に、受胎の瞬間から自然死に至るまでの人間の生命の尊厳を強調してきた。そのため、教会には引き続いて、過去に受け入れられていたことが実際には教会の教えに反していることに気付いた際に声を上げる義務がある。
  「ですから、ここでもう一度繰り返す必要があるのです。どんなに重大な犯罪が行われたとしても、死刑は容認できません。それは人間の不可侵性と尊厳への攻撃にほかならないからです」と教皇フランシスコは強調した。

 






『カテキズム』25周年を記念して演説する教皇(CNS)



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