神戸から笠戸丸に乗り、800人近くの日本人が初めてブラジルに渡って100年。4月12日から神戸市で「ブラジル移民100周年祭―日系ブラジル人のいま、そして未来へ」(主催・NPO関西ブラジル人コミュニティー)が開かれ、27日、神戸・メリケンパークで最終日の式典などが行われた。
カトリック教会では、地元、大阪教区から多数の信者が参加したほか、さいたま教区や横浜教区など、ブラジル人が多く居住している教区が訪問団を組織し、バス数台を連ね数100人が加わった。
「ここからうちのおやじが行ったんだなあと思って」とメリケンパーク脇の桟橋を見ながら話すのは、横浜教区から参加した静岡市在住、石田繁さん(66)。ブラジル・バイア州生まれ、日系2世の石田さんは18年前に“出稼ぎ”に来た。父親は1923年ころ、同じ港からブラジルに渡った。
この日の催しは、谷大二司教(日本カトリック難民移住移動者委員会委員長/さいたま教区)司式のミサで始まった。ポルトガル語でささげられたミサの説教で谷司教は、ことしが世界人権宣言の60周年に当たることも紹介しながら、外国人の人権も守られる、多民族・多文化の日本になっていくことが大切だと強調した。また教会は、この20年の間に、信者数が2倍になり、「さまざまな言葉を話す人の多民族共生の共同体となっています。このことは教皇様もご存じで、日本の移民の人たちに励ましの言葉を述べています」と話し、次のように呼び掛けた。
「皆さんが日本の教会にとって大きな存在であるのは数だけではありません。聖家族は、エジプトに難民として逃れ、ナザレで移住者として生活しました。イエスは難民、移住者の生活の中で育ったのです。皆さんが、このイエスと同じ体験、視点を持っていることが、数以上に大切です。この体験、視点を生かして、より福音的な教会、社会をつくる力に、皆さんはなると思います」
日本は第2の故郷
ミサの後、ジェラルド・アフォンソ・ムジ在名古屋ブラジル総領事や井戸敏三兵庫県知事らのあいさつや、仏教・神道・キリスト教による移民追悼式が行われ、またブラジルの歌や踊りが披露された。
総領事に頼まれ、追悼式の準備をした比嘉エバリスト神父(サレジオ修道会)も父親が1932年に沖縄からこの港に来て、ブラジルへ渡った。日本からブラジルへ、という移民の流れが逆になったことに感慨を表す。「そんなにたくさんじゃないですが、まだ(新しい人が)来ています。家を買ったり、子どもが日本で家族を持ったり、日本に住むことにした人も増えていますね。ある新聞では、83000人が永住ビザを取ったと書いてありました」
ブラジル人の司牧のために来日する日系人も。テオドラ田中修道女(宮崎カリタス修道会)は2006年から日本で働く。「ブラジル人も日本人も、お互いの違ういいところを学んでほしいですね」
石田さんの息子は日本人と結婚、妻は10年前に亡くなった。2年に1度、ブラジルに帰る。「僕はまだブラジルがいいなぁ。生まれ育った故郷ですから。ここが第2の故郷!」
(写真)ミサではブラジルを象徴する野菜やコーヒー、サッカーボールも奉納された
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